こんばんは。ヒトデです
この記事では、今までとは打って変わってちょっと重たい話をしようと思っています
やはり自分にとっても勇気がいることで、少し手が震えます
しかし先日結婚したこともあり、自分的にはいい機会だなと思い、結構大切なことでもあるので、もしよかったら読んでいただけたら嬉しいです
「きょうだい児」ってなんだ?
タイトルの「きょうだい児」。ピンと来なかった方も多いと思います
きょうだい児とは、障害や病気をもった子の兄弟姉妹のことをいいます
あんまり聞いた事無い言葉だと思いますし、実際に僕もこの言葉を知ったのはここ数年のことです
まあ結構重たい話なんですが、仮に障害を持った子が生まれると、どうしても親はその子へ付きっきりになります。当たり前です。大変だもん
でもそんなとき、健常者として生まれた「きょうだい」達も、実は大変です
「きょうだい児」の抱える問題
きょうだい児にとって一番の問題は、単純に我慢が増えます
きょうだいは特別で、自分は特別ではありません。優先順位はどうしても1つ下がり、興味関心もやはりきょうだいに多く向きます
ただ、これはある程度仕方のない事です。障害があれば、当然物理的に手間がかかることが多いからです。しかし親のリソースは有限です。どうしてもその分の割をきょうだいも食らいます
その結果どうなるかというと、この4つに分類されるそうです
- 親代わりになろうとする子
- 優等生になる子
- 退却する子
- 行動化する子
ようするに
- 「きょうだいが障害持ってて両親が大変そうだし、自分が頑張らなきゃ!」
- 「きょうだいは障害があってできないんだから、自分が肩代わりして頑張らなきゃ!」
- 「とにかくきょうだいと関わりたくない」
- 「きょうだいは俺にとって凄い重荷なんだぞ! 気付いて!!」(暴れる)
こんな感じですね
ようするに、子供らしい子供では無く、ちょっと歪むことが多いんです
僕も「きょうだい児」でした
そんで、今まで特に言ってこなかったのですが、僕もこの「きょうだい児」に当てはまります
4つ下の弟が「ダウン症」という障害を持っていて、まあ簡単に言うと成長が人よりも遅くて、大人になっても知能的には小学校低学年くらい、といった障害です
そんで、僕はというとまあまあもろに上で言う「①と②」の傾向がありました。率先して弟の面倒を見ていたと思います
- 「流石お兄ちゃん」
- 「優しいお兄ちゃん」
- 「お兄ちゃんのおかげ」
- 「お兄ちゃんはえらい」
そんな言葉をよく言われていたと思います
誇らしさと息苦しさ、その両方を感じていました
反抗期とやらも特に無く、両親と喧嘩したこともありません(怒られることはたくさんあったけど)
ただ、僕の両親はそれはもう出来た人達で、子供達に平等に接し、愛し、僕は特にグレることも精神を病む事も、拗らせる事も無く成人して社会人になっていきました
両親には本当に感謝しているし、今でもとても好きです
普通に考えて、きょうだい児って結婚出来なくない?
僕自身、元々結婚願望がそれほど強くない人間だったのですが、はっきり言って結婚することは一生無いだろうなと思っていました
だって単純に、弟の存在、重すぎないか??
両親が健在なうちはまだしも、基本的に両親は弟より先にいなくなります
1人いる7つ上の姉は既に結婚していて、子供も二人いて、じゃあ普通に考えて、面倒見るの僕じゃんな
それって、滅茶苦茶重くないか??
別に僕はいいんですよ。両親がいなくなった後、僕が弟の面倒を見るのは全然良い。僕は弟の兄だから。それくらいのことはもうとっくに割り切れているし、金も貯めてます
この件で弟を恨むなんてことも無く、「お前さえいなければ~~~~~~」なんて呪いを吐くことも無かったです
ようするに、その覚悟が既にあるわけです
でも、それを「自分と一緒になる誰か」に背負わすのはとてもじゃないけど無理じゃないか??
っていうか、無理
こんなもんはね、普通無理ですよ。幼少期から特殊な訓練詰んでるんですよこっちは。まず打ち明けらんねーし。それって、凄い勇気がいるのよ。打ち明けて、相手の顔が歪んだら、なんて考えたらとても怖いのよ。そもそもそんな深い関係になってから、後出しジャンケンもズルいじゃんな。だからって付き合う前に言う? いや、無理でしょ。だからもう結構詰んでるわけ
でもまあそれはそれでいいのよ。始めに書いたように結婚願望が強いわけでも無いし、結婚が幸せへの必須パーツとも思っていないし、それでもそれなりに充実した毎日送れるでしょ、ってね
「きょうだい児」だからこそ、出会えた今の嫁
そんな自分が先月結婚しました
いやいや、上までの文章なんだったんやねん。って話になるんですが、結論から言うと、相手の女性も「きょうだい児」でした
ブログがきっかけで知り合ったのですが、実は仲良くなったきっかけがこの「きょうだい児」でした
僕は生まれて初めて、自分以外の「きょうだい児」と話をしました
初めはそれとは関係無く、たまにリプライでも送るツイッター上の関係だったのですが、彼女のブログにあった「きょうだい児」の記事を読んで、それについて調べたら「あれ、これ俺の事じゃね?」ってなったのがきっかけです
それから、初めはDMから、長文DMだと読みにくいし書きにくいしでLINE交換してそこでも延々とその話をしました。もう話したいことが出てくる出てくる
僕は言うならば厨二病みたいなもんで
「この悲しみ、所詮当事者の拙者にしかわからんで候」
的なちょっと屈折した思考だったのですが、まさかの相手も当事者なわけで、びっくりするほど理解されてしまいました。26年生きていて初の出来事です
あの衝撃、今でも覚えています
自分が今後の人生、ひとりで一生胸の内に秘めていくであろうと思っていたことを突然理解され、肯定される
それって本当に凄い事ですよ
そして、僕もそれと同じことを、相手にしてあげることが出来たのです。本当に、本当に嬉しかったです
しかもなんと同い年で、趣味が合って、可愛いと来たら、そりゃ結婚でしょ。ええい扶養だ扶養だ!
まあそこまで事はスムーズじゃなかったですが、なんだかんだ付き合う事になり、1年間遠距離恋愛をして(会社員やりながら1年間で25回北海道に行きました。やべーだろ。おかげで無駄に空港に詳しいぜ)、1年間同棲をして、その後結婚しました
お互いにとって一番のネックである
「「きょうだい」のことを相手に伝える」
という工程は一番初めにクリアしてますし、本人達以上にそれを気にする親も、やはり少し気が楽そうでした
思ったよりも、お金を持っていた弟
なんやかんや結婚が現実的になった頃、僕は両親に初めて弟の将来の具体的な話をしました。なんとなく今までそれはタブーで。僕としても避けられるなら避けたい話題です。でも、自分が結婚するならそうも言ってられません
まあそんな真剣な感じでは無く、会話の流れでなんとなーく
「でもまあ、俺最近稼いでるしさ、お母さん働けなくなっても弟はなんとかなるよ」
みたいな事を言った気がします。それを聞いて母は
「弟のことは何も気にしなくていいのよ」
みたいなことを言いました
いやでも、現実的にさ、生きてくのには金がいるし、そういった施設に面倒見てもらうにしても金はやっぱいるじゃん。って思ってたら
「弟、うちで一番お金持ってるよ」
だってさ
いやいやいや。どういうことやねん。福祉施設からお賃金出てるのは知ってるけど、それ5000円とかじゃん。ポケモンのおもちゃでいつも消えてるじゃん
「弟の障害年金、今まで1円も使わずに貯めてあるの」
だってさ。何その仕組み。よく考えたら僕、そういうのなんも知らんわ
何でも、弟はいわゆる「1級」の障害者なので、国から年間100万円弱のお金が支給されてるそうなのだ。あとそれよりは少ないけど市からもお金が出ているらしい
そんで、弟はもう20歳を超えているわけで。今まで一度も使ってないなら
「100万円×20数年=……」
明らかに、一番金持ちである。なるほどな。確かにそれだけあって、今後も受給出来るであれば、それほど深刻では無いのかもしれない
「だから、気にしなくても大丈夫よ」
と母は言いました
僕はというと、自分が本当に情けなくなった
両親は両親で、しっかりと弟の先のことを考えてくれていた
僕はというと、半ば押し付けられたような、「いなくなる両親」にはどうにも出来ないのだから、自分が頑張るしかないと、そう思っていた
勝手に斜に構えて抱え込まずに、もっと早く両親と話をすれば良かったと、そう思った
そして、遅くはなったけど、この話をするきっかけになった「結婚」に感謝している。きっと「結婚」が無かったら、僕は両親がいなくなってしまうまで、このことを知らなかっただろう
自分には関係ない事と目を背けていた「結婚」が、結果的に色々なわだかまりを解決してくれた
「障害を持ったきょうだいは重荷じゃない!」なんて事を言うつもりは1mmも無い
結果、僕は障害を持った弟のおかげで、心の通う相手と出会えて、一緒になれた
だから弟に感謝! 障害なんて大した問題じゃないぜ!
なんて事を言うつもりは全くない
当事者としてはっきり言わせてもらうが、普通に生きていく人生において、障害を持ったきょうだいの存在は重荷だ。明確にハンデだ
単純に、自分は運が良かっただけだと、本気でそう思う
きょうだい児の抱える問題は深刻だ
障害を持った子、その両親の問題は良くピックアップされるが、「きょうだい」にまではどうしてもスポットは当たらない
その「理解の無さ」が、またよりいっそう「きょうだい児」達を苦しめる。「いいこ」であろうとしてしまう
小学生の時、きょうだい児についての本を読んだことがある
当時はきょうだい児なんて言葉は知らなかったが、ダウン症の家族を持つ人達が、その子についてどう思っているか、という文章を集めた本を見つけたのだ
なんとなく好奇心でその本を開いたことを覚えている
(ちなみに両親は本をほとんど読まないが、ダウン障にまつわる本だけは本当にたくさん家にある。そこで見つけたのがこの本だった)
その中に「きょうだい」の項目があった
求めていたモノとは違う気がするが、同じ境遇の子の話しが読めるのか、と少し期待してページをめくった
「○○ちゃんがいるおかげで私の一家は1つになっています」
「○○はかけがえのない存在です。大切です」
「妹が障害を持っていたおかげで、周りのお兄ちゃんよりも立派になれました」
「普通とは違うけど、おかげで毎日が新鮮です」
……はぁ
はっきり言って、凄くがっかりした
書いてある事はきっと正しいし、僕だってそう思う事はある
大切な弟だし、大切な家族だし、かけがえのない存在だ
そこに偽りはない
でも、あるだろ
もっとあるだろう
絶対、もっとあるだろう
自分をもっと見てほしいとか
自分をもっと認めてほしいとか
自分をもっと肯定してほしいとか
自分をもっとわかってほしいとか
自分を1番にしてほしいとか
いっそのこと逃げだしたいとか
もう弟の事で我慢したくないとか
強がりは辛いとか
頑張らないといけないのは辛いとか
「辛かったね」って言ってほしいとか
「頑張ったね」って言ってほしいとか
「大変だったね」って言ってほしいとか
そういうのがあるだろ!! そう思わずにはいられなかった
もしこの記事を、障害のある子を持つお父さん、お母さんが読んでいるのなら、そういった綺麗な話だけを受け入れるのはやめてほしい
僕は当時「お父さんとお母さんも「僕が弟についてこんな風にしか思ってない」と思っていたらどうしよう……」と子供ながらに悩んだものだ
障害のある子を持つ親として大変なことは本当に、本当によくわかっている
それでも、「手のかからない良い子」になろうとする「きょうだい」はとても多い。外見上はそう見えたとしても、ほんの少しだけでも、気にかけてあげてほしい
きっと、きょうだい達は、それだけで本当に嬉しい
僕が「弟の兄」で良かった
散々ぶちまけたけれど、今の僕は大人にもなり、結婚もして、それなりにお金も稼いで、まあまあちゃんと生きている
だからこそ思う事は「僕が「弟の兄」で良かった」という事だ
察しの通り、とても手のかかる弟だ。でも、弟は僕の事が好きだし、僕も弟の事が好きだ。少なくとも人生丸ごと背負い込んでやる程度の覚悟はしていたくらいには好きだ
弟の存在は、僕の人格形成にも大きく影響したと思っている
- 優しい
- 面倒見が良い
- 人の事を良く見ている
- 見捨てない安心感がある
これらは、僕が最近人から良く言われる褒め言葉だ(「騙されそう」とか「詐欺にひっかかりそう」とかとも言われるわけだが)
これらはきっと、弟と過ごしてきたからこそ、僕の中に出て来た特性だと思っている
(そのおかげか、今の僕は本当に人間関係に恵まれている。びっくりするほど良い人達が周りにたくさんいるのだ。素晴らしいことだ)
弟みたいな人間にも、優しい世界であると兄の僕は本当に嬉しい
そして、本来なら歪んで育ってもおかしくない環境でも、特に歪まずに自分をしっかりと育ててくれた両親には誰よりも感謝している
普通の子育てが楽とは決して言わないが、やはり両親にとってここ20年は超ハードモードだったはずだ
なのに僕は両親の苦労をほとんど知らない。それどころか、先の事も見据えて蓄えすら用意してくれている両親には尊敬が止まない。マジで、ここから最強の親孝行ラッシュが始まる所存だ
結果的に、今を見れば、弟が障害を持っている事は、僕の人生においての「障害」にはほとんどならなかった
両親の頑張りや、今の嫁との出会い
色々な人の力や、幸運が重なっているからこそそう言えるのだが、お先真っ暗というわけでは無さそうだ
もし自分が「きょうだい児」で、結婚について悩んでこの記事に辿り着いたのであれば、1つだけアドバイスをしたいことがある
それは「他のきょうだい児」と話をしてみること。だ
僕自身知らなかったのだが、きょうだい児のコミュニティはたくさんあるし、ツイッター等でもそういった集まりはある
もしそういうのが難しければ僕に声をかけてくれても構わないし、この記事のコメント欄をそういう用途で使って貰っても構わない
もちろんそれだけで全てが上手くいくとは言えないが、一人でただただふさぎ込むよりは光が見えるはずだ
そんなわけで、少し重めの話をしてしまった
こういった話を明るいのが売りのこのブログ「ヒトデ祭り」でするのは少し気が引けたが、まあ100記事に1つくらいはこういうのがあってもいいだろう
何より、自分自身探してみてわかったが、きょうだい児の情報は本当に少ない。2chの悪口みたいのが出てくることこそあれ、じっくりと内面まで書いている記事は凄く少なくて、自分自身調べる際に苦労した
そんな当時の自分のように「きょうだい児」について悩んでいる方にこの記事が読んでもらえたなら、凄く嬉しく思う
そんな感じ!
おわりっ